新設索道・フニテル・リフト・コンビリフト

キロロリゾート YU Kiroro コンビ リフト ゲートウェイエクスプレス
  キロロ YU Kiroro コンビリフト   YU Kiroro Gateway Express - Part I コンビリフト 北海道

【北海道 / キロロ ゲートウェイエクスプレス −前編−】

2019/6/7
今回から2回にわたり、北海道・キロロリゾート内に来シーズン(2019-2020シーズン)にオープン予定の高級コンドミニアム「YU Kiroro」とスキー場間に新設される索道「ゲートウェイエクスプレス」について特集。

この新しい索道では、以前ニセコビレッジ・エクスプレスのレポートでも紹介したゴンドラと高速リフトの混成(ハイブリッド)リフトシステムであるコンビリフトが採用される。

YU Kiroro (ユー・キロロ)のコンビリフト ゲートウェイエクスプレス
YU Kiroroオープンの告知ポスター。

YU Kiroroとゲートウェイエクスプレスのオープンについては2017-18シーズンからスキー場内やホテル内に告知のポスターやパネルが設置されているので知っている人も多いのではないだろうか。

ゲートウェイエクスプレスがオープンすると、2016-17シーズンのニセコビレッジエクスプレス、今シーズン(2018-19シーズン)運行を開始した石打丸山のサンライズエクスプレスに次いで、国内3番目のコンビリフトということに。


キロロ物語

キロロリゾートは、ヤマハ*注1の手により北海道・小樽市の西南18kmに位置する余市郡赤井川村に開発されたスキーリゾート。キロロの魅力はなんと言っても極上のパウダースノー。一帯は雪不足の心配が無い豪雪地帯のため5月のGWまでスキー・スノーボードが楽しめる。

キロロ ホテルピアノ
キロロのシンボル、ホテルピアノ(現・キロロトリビュート・ポートフォリオホテル)。

1980年代半ば、当時北海道で2番目に人口が少ない過疎村だった赤井川村では、リゾート開発による地域活性化構想が持ち上がり、国内外でリゾート開発事業を展開していたヤマハに協力を依頼。1987年に「キロロリゾート」の青写真が出来上がる。

ヤマハの開発計画は最終的に総面積270haの通年型総合リゾートを目指す壮大なもので、T期からX期の5つのフェーズに分けられ、そのT期の完成形が総面積120haの現在の「キロロスノーワールド」。


ヤマハの計画
ヤマハの1987年のマスタープラン。 ホテルピアノの後方に描かれた高層の建物群が目を引く。マウスオーバーで実際に完成した部分を表示。

計画ではリゾート全体を5つのゾーンに分け、完成時にはコース数40・索道17基(うちゴンドラ2基)のスキー場の他、6400名収容の宿泊施設・イベントホール・スポーツ施設・ショッピング街と飲食店街(キロロタウンとは別)・各種アミューズメント施設などの建設が予定されていた。

キロロの開発はバブル期に進められたものながら、当時のリゾート開発にありがちな「浮かれた感じ」はそれほど感じられず、環境アセスメントの実施による大型汚水処理施設の導入や産業・雇用における地元との連携、航空写真を元にCGで伐採する国有地の木を一本単位で決めるなど当時としては先進的な手法でおこなわれたと云われる。

これは1970年代からスポーツ・音楽イベント施設を中心としたリゾート開発でノウハウを培ってきたヤマハならではと言えるもので、開発エリアに自然公園法の規制地域がなかったことも幸いし、自然保護団体からの反対の顕在化も無かったと記録されている。


キロロタウンの花火
ホテルに隣接する小さなオープンモール、キロロタウン。

当時のスキーブームも手伝い、キロロスノーワールドの開業から1年間の入り込みは目標の32万人をクリアし順調なスタートを切るものの、同時に国内のバブル経済は崩壊。リゾート計画はT期のスキー場とU期のゴルフ場(キロロGC:1993年開業)がオープンしたところでペンディングとなった。

以降、キロロはルスツ・ニセコ・富良野・トマム・サホロと並ぶ北海道のスキーリゾートとして主に道外からのスキー客の獲得に貢献。しかしリゾート施設としての採算面では苦戦が続き、さらにバブル崩壊以降の消費の低迷によるレジャー産業の斜陽化の影響でヤマハは1997年にスキーマテリアルとブーツ・ウエア等のスキー用品の生産販売事業から撤退、2003年にはキロロGCもクローズ。

やがてヤマハは2007年にキロロリゾートを三井不動産鰍ノ売却。その後の2012年に現在のオーナーであるタイ国の大手不動産会社、プロパティ・パーフェクト社(Property Perfect PCL.)に買収された。


【参考資料】

レジャー産業資料 総合ユニコム 1992-1993
エコノフォーカス 日経新聞 2018-2019



【現地レポート】 2019年5月

キロロはヤマハ時代から1シーズンに1回(5月)ないし2回(1月・5月)必ず訪れているスキー場。

キロロは北海道のスキーリゾートとしては比較的コンパクト(本文にあるように計画段階では大規模)だが、何も無い山間に突然現れるおもちゃの国のお城のようなホテルを中心としたロケーションがとても気に入っている。一時期、山続きの札幌国際と雪上車で連絡するシャトル便が運行していたが今は無くなってしまったのが残念。

キロロゴンドラ
キロロゴンドラ。

キロロには開業翌年の1992-93シーズンから運行を開始した朝里岳(標高:1,280m)西側の山頂駅とスキー場ベースを結ぶゴンドラ(キロロゴンドラ:キロ程:3,309m/施工:日本ケーブル梶jがあるが、以前からよく「実はもう一基ゴンドラを建設する予定だった。」という噂を耳にしていた。

それが今回の調査で実際に計画が存在したことを知り、ちょっと感動。その幻のゴンドラが30年の時を超え、全く違うかたちで登場するのが今回のYU Kiroroのゲートウェイエクスプレスとも言えそう。

キロロのトリビュート・ポートフォリオホテル
タイと日本の国旗がはためくホテルのエントランス。

前述の通り、現在のキロロのオーナーはタイ国の企業。キロロのメイン宿泊施設であるホテルの入り口にはタイと日本の国旗が掲げられており、宿泊客の7割以上はアジア圏の外国人。キロロの場合は特にタイの人が多い。

昨年(2018年)のタイ人の訪日客数は113万人で、韓国・台湾・中国・香港・米国に続いて6番目に多い数字。タイの訪日客数は2009年頃までは10万人台を推移しており、この9年間で10倍以上に増えたことになりる。

これはタイのGDP(1人当たり国内総生産)が2010年頃から急成長し、タイ国内の中間層・富裕層が増加したことによる効果。タイ国以外にも中国をはじめとしたアジア諸国のGDPの上昇はインバウンドの原動力となっている。

【YU Kiroro】

YU Kiroroは現在分譲中で、今回、ホテル内に作られたモデルルームでスタッフの方から話を聞くことができた。

YU Kiroro(ユー・キロロ)というネーミングは雪(Yuki)・湯(Yu)・あなた(You)・キロロ(Kiroro)から作られたそうで、ユー・キロロの設計は北米のスキーリゾートの本場、合衆国コロラド州のリゾートを手がけたデザイナーによるとのこと。

ユー・キロロのモデルルーム
ホテル内に造られたユー・キロロのモデルルーム。左に展示されているのはYU Kiroroの完成模型。

さて、気になるお値段だが、現在(2019年5月)、一番安い部屋(60u)で8000万円、一番高い270uの温泉付きペントハウスが5億円だそうで、60uの部屋は一泊8万円くらいで宿泊客に貸すことになるということだった。

これはベイルのビレッジ内の標準クラス(3つ星)のコンドミニアムとほぼ同じくらいの価格。平成30年度の赤井川村の平均公示価格(3050円/u)を考えるとかなり「いいお値段」だが、ビレッジ内にあり(これが重要)、スキーイン・アウトが可能という北米やヨーロッパの一流スキーリゾートのスタイルを踏襲している付加価値は大きいと言える。但し、現在のキロロをベイルと同格のリゾートと考える人は北米やヨーロッパには居ないと思うけど

因みに売れ行きは順調とのことで、購入者は主にアジア圏の外国人。投資目的の購入が多いそうですが自己使用のケースもあるそう。

ゲートウェイエクスプレスはYU Kiroroからスキー場最下部のファミリーリフト間の878mを連絡するもので、冒頭で書いた通りのコンビリフト。リフト下にはゆるゆるの緩斜面のコースを造るところもニセコビレッジにオープンしたニセコ・ビレッジエクスプレスと同じで、今どきの北米のリゾートでよく見られる構成。

ユー・キロロはホテル横のチャペルの後方のエリアに建設される。昨年(2018年)5月の時点ではまだ開始されたばかりだったYU Kiroroの建設工事は、1年後の今年の5月には写真のように建物の全体像が判るくらいに進捗していた。

ユー・キロロとコンビリフトの建設地
チャペルの後方に見える建設中の建物がYu Kiroro

同じ場所で2005年に撮ったものが下の写真。ホテル名がまだ「ピアノ」で、この頃までは宿泊客は圧倒的に日本人が多く、ユー・キロロの建設地は何もない森だった気が。

キロロ2005
上の写真と同じ場所(2005年1月撮影)

キロロでは現オーナーの下、今後10年間で1000億円を投資して順次リゾートを拡張していく構想があるそうで、下のイラストはその構想のマスタープラン。ホテルがほぼ同じ位置に描かれているのでヤマハの1987年のマスタープランと対比してみると興味深い。


YU Kiroroのマスタープラン
現オーナーによるマスタープラン。

ヤマハの構想がいかにも当時の国内の総合リゾートタウンのイメージなのに対し、現在のプランは北米の高級スキーリゾートのビレッジ風。ホテルの背後の山にスロープと索道が描かれているところにも注目。

インバウンドを追い風に、 現在北海道のスキーリゾートではキロロにはシェラトン、ルスツにはウェスティン、そしてニセコにはヒルトン(ビレッジ)とハイアット(花園)といった北米の一流リゾートホテルが進出。バブル期に国内デベロッパーが建設した「ガラパゴス・スキーリゾートホテル」を買収し、北米のスキーリゾートスタイルにリニューアルしている。


【30年の歳月】

日経平均が史上最高の3万8千900円台を付けた1989年、バブル経済の絶頂期といえるこの年に着工されたキロロリゾート。「一億総楽観主義者」だったとも言える当時、ヤマハの描いた壮大なリゾート構想に違和感を感じる者はいなかっただろう。

そしてその開業にあわせるかのように1991年に突然(当然)おとずれたバブル経済の崩壊。国内スキー人口も翌1992年をピークに長い低迷期に突入し、ヤマハが当時の金額で230億円以上を投じて造りあげたキロロスノーワールドを2007年に廉価で売却した頃、のちのインバウンド特需の到来やアジアの富裕層が押し寄せるリゾートホテルの姿を予見した者も、やはり居なかったことだろう。

今のところ順調なインバウンドにしても、足元では米中の覇権争いや大規模自然災害の発生などの影響による落ち込みを懸念する声もあり、10年先どころか1年先の経済動向も読めない昨今、長期を見据えたリゾート開発計画というのは本当に難しいことだと言えるのかも知れない。



後編では来シーズンに再び現地からコンビリフトのデータや乗車レポートを中心にお送りする予定。乞うご期待。

後編を読む→

朝里2Cのパウダー
キロロの樹氷(朝里第2C)


*注1 ヤマハ梶Eヤマハ北海道リゾート開発鰍はじめ、時期により多数のヤマハの子会社・グループ会社が関わっているが、記事中の表記は「ヤマハ」で統一した。





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