横浜博覧会ゴンドラ(横浜博スカイウェイ) -YES'89の会場配布チラシより 首都(特別区)である東京都を除くと日本最大の人口(約377万人)を抱える政令指定都市である横浜市。 横浜は幕末の開港から始まった歴史の新しい街ながら、日本屈指の港湾都市として、また東京都心へ30分以内という立地から東京のベッドタウンとして急成長を遂げた、異国情緒と利便性が共存する街です。 【横浜博覧会ゴンドラリフト】 今回紹介する索道は、横浜博覧会ゴンドラリフト(通称:横浜博スカイウェイ)。 1989年(平成元年)3月25日から10月1日まで、現在のみなとみらい21地区で市政100周年の記念行事として横浜市の主導で行われた横浜博覧会(Yokohama Exotic Showcase 89 略称:YES'89)で、横浜駅東口から会場までのキロ程約768mを来場者輸送に活躍した索道です。 博覧会会場へのアクセス用途としてのゴンドラ(普通索道)の運用には多くの事例がありますが、横浜博ゴンドラは、期間限定の実験的な路線ながら、交通システムとして都市ネットワークに組み込まれた、国内で唯一の索道の導入事例です。 乗車券の半券 横浜博ゴンドラは、それ自体は一般的な循環式の旅客索道でしたが、最短の直線で結ばれた路線は、基点がJRと私鉄各線が集中する横浜駅。終点の会場には後述するように陸上・海上の公共交通機関への接続性が担保されていたため「都市型ロープウェイ」として機能しました。 都市型ロープウェイの定義は、このサイトのこちらを参照してください。 同索道は、このサイトでも過去何度か登場したスイスのフォンロール社(Von Roll AG)のリフトシステムを採用したMGD(単線自動循環式索道)で、42機あった搬器はCWA社製OMEGAの6人乗り第1世代キャビン。 ちなみに、CWAのOMEGA第1世代キャビンは1980〜90年代に新設または更新された6人乗りゴンドラリフトで標準的に採用されていたので、2026年現在でも運用中の路線が比較的多いキャビンです。スキー場、観光地等で同型の搬器を見たことがある方も多いのではないでしょうか。 ![]() 同型キャビンの例(かぐらスキー場・かぐらゴンドラ) 横浜博ゴンドラは、会期中(191日間)に全来場者の4分の1以上にあたる延べ約305万人の輸送実績を記録。期間限定の運用だったため索道設備は博覧会の終了後に予定通り解体・撤去され、搬器の一部は国内各地に譲渡・転用されました。 |
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| 【YES'89について】 1989年の横浜博は、会場が家から徒歩圏内だったので、会期中に数回訪れています。その時に撮った写真とガイドブック類、事後的に調べた公式記録などから当時と現在の様子を検証してみます。 YES'89 会場案内図 -Yes'89のガイドブックより(タップで拡大)。 下の写真はコスモクロック21(大観覧車)から会場を撮ったもの。なお、コスモクロック21は現在もありますが、博覧会終了後に運河の対岸に移築されたので、この時の位置とは異なります。巨大なガリバーは三井・東芝館。 コスモクロック21から見た横浜博会場(1989年撮影) 次の写真は東京ガス館。いかんせん大昔のことなので、正直、覚えているのはキャストが文明開化の頃のコスプレをしていた「開港記念村」くらいで、当時のガイドブックを読み返して写っている建物を特定しました。なお、ゴンドラの写真も撮った気がするんですが、見つからず ![]() ゴンドラゲート駅の近くにあった東京ガス館(1989年撮影) 【YES'89の特徴】 会場へのアクセスは、マイカー利用は規制*注1されていましたが、桜木町駅からは動く歩道、横浜駅からはゴンドラ以外にシャトルバス、シーバス(水上バス)が、また、東京港(日の出桟橋)からは高速船*注2があり、さらに成田・羽田からは直行ヘリも用意されました。 会場内にもHSSTの実験線や、山下公園との間を往復する貨物引込み線を再利用した横浜博臨港線のほか、双方向バス、SK(移動ベンチ)等、様々な乗り物がありました。 ![]() 明治時代の横浜をイメージした列車、横浜博臨港線の記念乗車券の半券。 以上のようにYES'89は、個人的には「交通・乗り物」と「開港当時の横浜」にフォーカスした内容と記憶していますが、テーマは「宇宙と子供たち」だったみたいです。 YES'89は宣伝の不足に加え、3月の開幕から7月までは週末になると雨が降ったり、8月には台風が接近するなどして客足が伸び悩み、閉幕が近づいた9月に入ってから自治体・出展企業・出展業者への無料招待券の大量配布が奏功して急激に動員を伸ばしたとされています。 1989年の横浜博覧会は、最終的に約1,333万人の来場者を数え、目標の1,250万人をクリアしたと記録されています。
【訪問記】2026年3月 YES'89から今年で37年が経ち、来年は横浜で行われる5度目*注3の博覧会である「GREEN×EXPO 2027」が開催されますが、YES'89の横浜博ゴンドラの跡地は今どうなっているのかを検証するため、現地を訪れてみました。 当時、横浜駅東口のゴンドラ駅舎は、横浜新都市ビル(そごう横浜店)に隣接するかたちで建っており、そごう2階のペデストリアンデッキの東南部分で接続していました。 この駅舎は博覧会終了後に完全に撤去されましたが、そごう側の接続部分の様子は当時と変わっていません。ゴンドラ駅舎は写真中央の張り出したベージュ色のデッキの角の手摺の上で接合していました。 ![]() ゴンドラ駅舎は写真中央のデッキの上で接合していた。右奥はKアリーナ 次は終点のゴンドラゲート駅の現在の様子。再開発が始まる前のみなとみらい地区は、運河に囲まれた倉庫や貨車の操車場などが広がる、一般人は立ち入ることがない殺風景なところでしたが、博覧会後の埋め立てや区画整備によって地形が当時と一変しています。 上記の参考資料3.に掲載されている会場マスタープランの図面が正確だとすれば、ゴンドラゲート駅は、今はタワマンが建っている、みなとみらい4丁目の東端の区画の中央あたりに位置していたことになります。 ![]() 駅舎は正面の2棟のタワマンの間の低層の建物の辺りにあった。 当時はまだ横浜ランドマークタワーさえ無く、ゴンドラゲート駅のホームから横浜そごうの上部が見えました。 現在、この位置からは高層のオフィスビルやタワマンなどに遮られて、横浜駅東口方面を見通すことは出来ません。みなとみらい地区が37年の間に急速に発展していったことを実感します。 ![]() みなとみらい線が無かった当時、横浜駅からみなとみらい地区への陸路でのアクセスは、内陸側から大回りする必要があったため、横浜博ゴンドラが交通システムとして収めた成果は前述の通り、決して小さくないものでした。 ともあれ、横浜駅東口・みなとみらいエリア間が運河を超えるペデストリアンデッキ(はまみらいウォーク)で接続されている現在、もはやこの索道路線の復活は有り得ないでしょう。 【おまけ】横浜エアキャビン さて、現在みなとみらいにはYOKOHAMA AIR CABIN(横浜エアキャビン)という桜木町駅ー運河パーク駅間のキロ程約629mを結ぶ観光アトラクションとして人気の8人乗りのゴンドラリフトが運行しています。上の地図右下側の黒い斜めの線路がそれです。 みなとみらいの巨大なビル群をバックに進むYOKOHAMA AIR CABIN。 横浜エアキャビンのリフトシステムはドッペルマイヤーのMGDで、搬器はCWAのOMEGAのカスタム仕様。チケットはキャッシュレス対応。 ![]() YOKOHAMA AIR CABINの索道の設計・施工は日本ケーブル。 この索道には、なんと全ての搬器が冷房装置付きというユニークな特長があります。近年、シートヒーター付の索道は増えつつありますが、冷房装置付というのは国内では前例がありません。 夏場の標高の低いところにある索道ではキャビン内がサウナ状態なんてことは普通にあるので、これは利用者にとって非常にありがたい配慮。 因みにこの索道の事業者は、前述の大観覧車「コスモクロック21」を設計・施工した国内の大型遊具メーカーで、コスモクロック21も全キャビン冷房完備。 実際に利用した感想としては、キャビン内はマジックミラー仕様で、夜間のライトアップや全方位のパノラマビューが楽しめる、快適なゴンドラでした。 他の交通機関との接続性が事実上取られていない終点側が最寄の駅等まで延伸され、この楽しいゴンドラが名実ともに「都市型ロープウェイ」となることを期待したいです。 ![]() 臨港線廃線跡の「汽車道」の上空を並行するYOKOHAMA AIR CABIN。 |
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マイカーの場合は大黒町・新本牧・新横浜のサテライトパーキングに駐車し、シャトル船やシャトルバスで会場に送迎された。
*注2
博覧会修了後に常設の定期航路となったが、2000年にサービスを終了した。
*注3
1935年:復興記念横浜大博覧会、1949年:日本貿易博覧会、
1989年:横浜博覧会YES'89、2009年:開港博Y150







