白根火山ロープウェイ −2002年撮影 温泉番付の「東の横綱」として全国的に知られる上州の名湯、草津温泉。 標高1200mの高原の町である群馬県草津町は上信越高原国立公園の2000m級の山々に囲まれ、冬はスキー、春はゴルフ、夏は避暑、秋はハイキングが楽しめ、国内外から多くの観光客が訪れます。 「スキーの町」としても知られる草津には、前身のスキー場を含めると1世紀以上の歴史を持つ「草津温泉スキー場*注1」があります。 同スキー場はファミリーや温泉客に人気のスキー場ですが、1948年に日本で最初*注2にスキーリフトが建設されたスキー場であり、国体・インターハイ・全中なども開催された正統派スキー場の一面も持ち併せています。 白根火山ロープウェイ(初代) -上信越高原国立公園草津温泉より 白根火山ロープウェイは1960年(昭和35年)に同スキー場内に建設された6人乗りの三線自動循環式のゴンドラリフト。 スキー場の下部エリアと上部エリアを結ぶ同索道は約58年間に亘りシーズン中はスキー、グリーンシーズンは 草津白根山の酸性度世界一を誇る火山湖「湯釜」観光*注3の足として通年で運行していました。 エメラルドグリーンの火山湖、湯釜(2004年撮影)。火山規制のため湯釜見学コースと周辺遊歩道は現在閉鎖中。 1960年のロープウェイ開業当時は町から湯釜までの道路の路面は未整備で冬季以外でもアクセスが悪かったため、温泉街から徒歩で行ける山麓駅と湯釜に近い山頂駅を結ぶこの通年運行のロープウェイは草津白根山観光用としてもたいへん好評だったようです。 グリーンシーズンの初代白根火山ロープウェイと舗装前の高原ルート(画像をタップで舗装後の写真に。余白をタップで元の画像)。-1960年代の絵葉書より ロープウェイ開業から5年後の1965年には、町と志賀高原方面を郡馬県/長野県の県境の渋峠経由で結ぶ有料自動車道路の志賀草津高原ルート*注4が供用されます。 途中に白根山湯釜付近も通る志賀草津高原ルートは「日本一高いところを通る自動車道路」として人気を呼び、この時期(1960年代後半から70年代前半)はマイカー普及に向けた山岳観光自動車道路の供用*注5が全国で相次ぎました。 なお、当時は白根火山ロープウェイから万座ロープウェイ(廃線)へのロープウェイの乗り継ぎで草津温泉 - 万座温泉の往復が通年で可能でした(下図を参照)。 グリーンシーズンの草津高原観光地図-上信越高原国立公園草津温泉より。画像をクリックで大きな画像に(戻る時はブラウザのバックボタンで)。 高原ルートの草津ー本白根間は冬季閉鎖される区間のため、ロープウェイはスキー場の下部エリアから上部の本白根エリアまでのアクセスに欠かせない存在(後述)でした。 1970年代に入ると志賀草津高原ルートの全面舗装による自動車との競合が始まりますが、グリーンシーズンの需要も依然として高かったため、白根火山ロープウェイはニーズに応えるべく1976年に全面架け替えをおこなうことになり一旦廃止し、翌1976-77シーズンに再開業。
やがて1987年から91年のバブル期に入ると国内には空前のスキーブームが到来。ロープウェイは1991年に3度目のリニューアルをおこないます。これは全面リプレイスではなく搬器の更新がメインで、新しい搬器(ページトップの搬器:事実上の3代目)は1991-92シーズンから運用を開始。キャビンの定員は再び初代と同じ6名となります。 索道の名称も「白根火山ゴンドラ」から「白根火山ロープウェイ」に戻り、スキー場も「草津国際スキー場」と改称。 索道の輸送力の向上も手伝い、スキー場の年間来場者数は1991年と92年に過去最高の90万人超えを達成したと記録されています。なお、鳴子スキー場スカイポーターのレポートや大鰐温泉スキー場あじゃら高原ゴンドラのレポートでも書いたとおり、レジャー白書の統計によるとこの「1992年」は国内の索道収入が1510億円と過去最高記録をつけた年で、ちょうど国内のバブル景気の破綻の年と符合。ここをピークにスキーブームは終焉を迎えます。 当時、草津国際の周辺には芳ヶ平ヘリスキーツアー(2008-09シーズンに終了)用のヘリポートがあった音楽の森スキー場や、少し離れた草津町入り口の手前には草津静可山スキー場(廃止)もあって冬季の町はスキー一色でした。 以上のように、半世紀以上の歴史を持つ白根火山ロープウェイでしたが、2018年1月23日、白根山の突然の噴火により人的被害が出る痛ましい災害が発生し、ゴンドラを含む上部の索道施設もダメージを受けたためロープウェイは同日付けをもって運行を停止。そのまま再び運行することなく翌2019年に廃止となりました。 【参考資料】 |
|||||||||
|
|||||||||
【訪問記】 2024年2月 草津国際スキー場は過去何度も訪れた大好きなスキー場でした(過去形になってしまうのが残念)。 逢の峰ゲレンデ(2012-13シーズンに閉鎖)からは湯釜が見えた。 (2007年撮影) 特に標高2170m付近にある上部エリア(本白根ゲレンデ・逢の峰ゲレンデ)は下部のゲレンデとは別世界で、まさにスノーパラダイス。本白根エリアは最盛期でもリフト4基、コース4つの小ぶりなボウルでしたが、もっとも草津国際らしいエリアでした。 ハイシーズンの同エリアの寒さはトマム(北海道)や蔵王(山形県)、表万座(群馬県:閉鎖)などの上部なみで、ほんの1〜2分間グローブを外しただけで指の感覚が無くなるほど。 そんな楽しい本白根エリアに行くには下部の殺生河原からの白根火山ロープウェイの利用が必須でした(下図を参照)。 1991-92シーズンの草津国際スキー場のゲレンデマップ。画像をクリックで大きな画像に(戻る時はブラウザのバックボタンで)。 草津国際スキー場はマップのように上部と下部が大きく離れた、ミニスキー場の集合体のような構成。 同スキー場の売りのひとつだった「全長8kmのロングコース」の正体も、その大部分が上部エリアと下部のゲレンデ群を結ぶ振子沢コース・清水沢コースという夏道利用の連絡コース的なコースで、特に振子沢はハイシーズンにはまるで大きなハーフパイプのようになるユニークなコースでした。 白根火山ロープウェイは山頂駅の標高が高いため強風による運休が比較的多かった路線。しかし、これが動いているかいないかで楽しめるエリアが大きく変わるので、SNSなどが無かった頃はスキー場に着いて動いていることが分かるとホッとしたものです。 2018年の噴火の翌日には上部エリアへの立ち入りが規制され、本白根のコースやリフトはそのままクローズ。あまりに突然の、想像すらしなかった上部エリアの終わり方にショックを受けました。 本白根ゲレンデから。中央の細長い建物が山頂駅(2018年撮影)。 ちなみに私たちは噴火の前々日(2018/1/21)に本白根ゲレンデに居ました。上の写真はその時に撮ったもの。この日はピーカンの日曜日で例年通り大勢のスキー・スノーボード客が居ましたが、今思うなんとなくいつもの本白根と違う、正体不明の違和感のようなものを感じていたような気がします。 では、さっそく現在の様子を見ていくことに。 なお、前述のとおり噴火以降は山頂駅があった上部エリアは規制区域となったので山頂駅の現在の様子は不明。 火山観測所になった旧・山麓駅(2024年2月撮影) 現在、山麓駅は改装されて火山観測所として使用中。索道設備は支柱を残してすべて撤去されています。山麓駅舎は索道の発着所が塞がれた以外、建物の外観は駅舎時代とそれほど大きく変わっていない様子。 山麓駅舎後方。黒々とした大きな防壁が行く手を阻む。 しかし、駅舎後方の、かつての上部から青葉山ゲレンデに向かうコースの途中には砂防ダムのような壁が造られていて、もう二度とここがスキーコースとして使われないことを実感します。 上の写真と同じ場所。(1999年2月撮影) 草津国際スキー場は翌2018-19シーズンから規模を縮小し、下部の青葉山・御成山・天狗山の各ゲレンデを中心とした正真正銘のファミリースキー場となってオープン。名称は再び「草津温泉スキー場」に戻り、同シーズンの目標来場者数は12万人*注6と設定されました。 天狗山をはじめとする下部ゲレンデはファミリースキー場らしい明るい雰囲気で上部とはまた別の良さがあるのですが、本白根エリア消滅によりスキー場全体としての魅力は半減。私たちも2017-18シーズンを最後に行くことは無くなり、今後も無いと思っていました。 ところが! 2023-24シーズンに天狗山ゲレンデにパルスゴンドラが新設開業するというニュースが これは行くしかない、ということで訪れたのが今回の6年ぶりの草津訪問のきっかけ。その新設ゴンドラ「パルスゴンドラ天狗」を新設索道レポートで紹介しています。興味のある方はどうぞ。 |
|||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
*注1
1935年に天狗山スキー場(現・天狗山ゲレンデ)開設。それ以前から草津運動茶屋に運動茶屋スキー場というスキー場が1941年から存在したが一般スキー客用ではなかった。
一般のスキー客向けのスキーリフトとして日本最初。スキーと索道の歴史については比良ロープウェイ等のレポートを参照。
*注3
草津白根山湯釜と周辺の遊歩道・白根レストハウス等の施設は現在入山規制のため立ち入り禁止となっている。なお、2018年の噴火以前の2007年から湯釜見学コースは度々閉鎖されている。
*注4
のちの志賀草津道路:1993年に国道292号の一部となり無料化。
*注5
蔵王エコーライン(1962年供用)、伊豆スカイライン(1962年供用)等の行政による山岳有料観光道路の他、箱根ターンパイク(1961年開業)、湯河原パークウェイ(1964年開業)など私道の山岳観光有料道路も全国で多数開通した。
*注6
ソース:産経ニューズ 2018年12月15日 記事。
*注7
鉄道要覧から記載が消滅したのは令和2年度版(2020年)からであるため、廃止は2019年と考えられる。