失われたロープウェイ - Ropeway Archives
廃止索道
オリンピック号(恵庭岳)
  
来年(2010年)は、いよいよカナダのバンクーバーで冬季オリンピックが開催されますが、日本でも過去に長野(1998年)と札幌で冬季五輪が開催されました。

札幌オリンピックは、1972年2月3日から2月13日まで北海道札幌市で開催されたアジアで最初の冬季五輪です。

札幌の街には世界各国から選手・観客・関係者が集まり*注1、開催に向けての交通インフラの整備や市街の近代化により、札幌は国際都市SAPPOROとして世界的に知られるようになりました。

競技においても、冬季大会日本人初のゴールドメダリストの誕生(スキージャンプ70m級*注2:笠谷幸生選手)と、同種目での日本人選手による表彰台独占(金・銀・銅)に国民は熱狂しました。


恵庭岳聖火分火台とオリンピック号。
出典:第11回オリンピック冬季大会札幌1972公式報告書

今回紹介するロープウェイは、この大会で冬季五輪競技の華とも言えるアルペンスキーのDH(滑降)のコース会場となった恵庭岳滑降競技場に建設された交走式の索道です。

「オリンピック号」とも呼ばれたこの索道は、中間駅を持つ2区間で構成された本格的なもので、山頂駅から男子滑降のスタート地点までは、選手用のリフトも架けられました。



オリンピックの競技会場には、開会式が行われた真駒内、アルペンのGS・SLが行われた手稲山をはじめとした、札幌市内の8ヶ所が設定されました。

滑降競技には、スタート地点とゴール地点間に、定められた標高差と滑降距離を有するコースが必要で、札幌市内にはこの条件を満たすコースが無いため、千歳市・恵庭市の境界に位置する恵庭岳の南西斜面にコースを新設することになりました。

日本最北端の不凍湖である支笏湖を見下ろす恵庭岳は、アイヌ語で「鋭く尖った山」を意味する、標高1320mの活火山。支笏洞爺国立公園内にあるため、大会終了後に、コース会場の自然修復を条件に整備が行われることになりました。


恵庭岳滑降競技場
出典:札幌オリンピック札幌オリンピック冬季大会 記念写真集


コースの造成は、エゾマツや背丈を越えるクマ笹の密生する急斜面で1968年6月から開始され、ほぼ同時(7月上旬)に索道の建設が着工されました。恵庭岳の索道工事には高い技術力が求められ、施工は名門・安全索道が担当しました。多くの困難を伴いながらも工事は進み、1970年1月に索道は完成、コースも2月に使用可能となりました。

しかし、翌1971年2月に開催された、札幌国際スポーツ大会(プレオリンピック)の前後には、FISジュリーメンバー*注3から度重なるスタート地点の変更やコースの延長の勧告があり、その都度コースに修正を加えることになり、工事関係者の苦心は想像を絶するものだったといわれています。


さらに、オリンピック直前の1971年の12月8日からは、極度の雪不足と異常暖気による融雪対策を行うため、自衛隊の支援隊334名が現地に宿泊し、集雪と運搬が行われ、コース整備のために運搬された雪は、最終的に2万7100立方メートル(6m3積みトラック4500台分)に達しました。

また、コースを仕上げるため連日、人海戦術による雪押しと、スキー板とつぼ足による圧雪(当時はピステンがなかった??)が続けられ、ロープウェイとリフトは、山麓と山頂を往復する隊員と資材の輸送に大活躍したそうです。

支笏湖を眼下にみる男子滑降コース          
出典:
オリンピック冬季大会札幌市報告書

支援隊の努力によって、コースは日増しに整備されていきました。競技直前の2月に入ると降雪もあり、本番(女子:2月5日、男子:2月7日)の滑降競技は、ともに好天に恵まれ、出場選手全員がひとりの転倒者もなくゴールインすると言う、滑降競技においては非常に稀な結果を残し、絶好のコースコンディションを維持してきたコース整備について、FISのジュリーメンバーや参加各国チームから絶大な賛辞が寄せられました。

札幌オリンピックの成功には、自衛隊員や索道マンをはじめとした、多くの技術者・工事関係者の支えがあったのです。



試運転中のオリンピック号と恵庭山麓駅(1970年1月) 
出典:第11回札幌オリンピック冬季大会案内



【参考文献】

第11回オリンピック冬季大会札幌市報告書 1972
札幌市総務局オリンピック整理室

第11回オリンピック冬季大会札幌1972公式報告書 1972
札幌オリンピック冬季大会大会組織委員会

札幌オリンピック冬季大会公式ガイドブック 1972

札幌オリンピック冬季大会大会組織委員会 編 1972

札幌オリンピック冬季大会. vol.2
札幌オリンピック冬季大会大会組織委員会 1972

札幌オリンピック冬季大会と電気通信 日本電々公社 1972

千歳市史(上記二冊からの引用部分) 1983 千歳市


訪問記】 2009年5月

この路線は以前から気になっていて、地形図を見ながら登山道の無い恵庭岳南西斜面の、標高1000m付近の山頂駅・標高600m付近の中間駅の駅跡までの到達ルートを机上で検討していました。いずれにしても、探索にはそれなりの準備や装備が必要なことは確実。山頂付近には登山禁止区間もあるようなので、一度現地の様子を見ないと埒が開きそうもないと思い、ちょうどGWに春スキーで小樽(キロロ)に行く予定があったので、ついでに下見のつもりで、現地に立ち寄ってみることにしました。

恵庭岳南西斜面に面した、道道78号支笏湖線のオコタンペ湖から美笛までは冬季閉鎖される区間なので、出発前に札幌土木現業所に電話で問い合わせると、支笏湖までなら1週間前に除雪作業が完了して車で通れるという返事でした。

前述の通り、恵庭岳競技場は大会終了後、施設の撤去と伐採地の修復が行われたため、現在はコース跡の目の前の道道から見ても、ここに施設やコースがあったとは想像出来ませんが、「支笏湖ビジターセンター」の、恵庭岳コース跡に関する展示の説明文には、「雪がつもるとコースの跡がうっすらと姿を現す」と、完全な植生回復の困難さが記されていました。

コース会場へのアプローチ用の橋の橋台

道道の脇の林道に入ったところにオコタンペ川が流れていて、当時、そこにはコース会場へのアプローチとなるコンクリート製の橋が架けられていましたが、橋は落とされていて、鉄道廃線跡を思わせる橋台が残っているだけです

右上の写真の橋台は、ページ中央の競技場見取り図の右下に2つ描かれている橋の、向かって上の橋で、橋台の後方に広がる笹ヤブが運営本部や山麓ステーションがあった場所です。

しかし、ここに立った瞬間、今回の下見が本番になってしまったというか、いつか実行するつもりだった「本格的な探索」はあっさりと断念しました。- 何で?川があるから?激ヤブだから?

いやいや、確かに川は雪解けで増水していて流れが速いので、装備なしの渡渉は危険な上、本部跡から上は高さ2m位はある笹が密生していて、前進自体が困難そうでしたが、それらは予想範囲内です。それよりも、渓流の音しか聞こえない、静まり返った森林を目の当たりにして、この一帯が道内でも有数の
ヒグマの生息地と言われていることを実感したのです。

国内では北海道にしか生息しない羆(ヒグマ)の危険度は、本州のクマ(ツキノワグマ)などとはケタ違い*注4であることは、このサイトのどこかでも書いたような気がします。もちろん、ヒグマの生息エリアに入れば、必ず遭遇するという訳でもないでしょうが、自分の運命がクマの行動まかせなんてご免です。

恵庭岳のコース造成における通信線路の測量でも、ヒグマとの遭遇を避けるため、作業は携帯ラジオをフルボリュームにしながら(最近は、この方法はあまり効果が無くなってきているらしい)行われました。また、危険防止を図るためパンフレット「羆」を発行したと記録されています。


本部跡地の笹ヤブ(対岸から撮影)

駅跡探索を断念した理由の九割は、ヒグマとの遭遇の可能性にビビッた(笑)からですが、残りの一割は、落とされた橋を見た時になんとなく「封印」という言葉を連想したこともあります。ここから先は、ヒグマや野鳥の棲む自然の山に還すために、今から40年近い昔に封印された土地なのです。

太古から原生林に囲まれた恵庭岳は、かつてひと冬だけ、世界のトップ・アスリート達に熱い闘いのステージを提供し、世界中から集まった多くの人々の歓声につつまれました。今、山は、完全な回復のために静かに眠っているかのようでした。


恵庭岳のロープウェイ搬器のその後】

さて、大会終了後、森林修復と同時に撤去された恵庭岳の2本の索道施設のうち、ひと組の搬器は、再利用のため国外(国名は不明)へ運ばれ、残りのもうひと組は登別市の「のぼりべつクマ牧場」で、第二の人生を歩んだと云われています。それを確かめるために、最終日に小樽から千歳空港に向かう途中に登別に立ち寄りました。

ちなみにクマ牧場とは、登別温泉の「クマ山」という山の上にある熊の動物園で、アプローチにロープウェイを使うことでも有名です。




連休で賑わう、クマ牧場の駐車場の片隅には、まさしく恵庭岳のものと思われる搬器が、倉庫として使用されていました(上の写真)。


駐車場で誘導をしていたクマ牧場の方に尋ねてみると、「あれはオリンピックの時に札幌で使ったゴンドラで、閉会後にこっちに持ってきて何年か前まで使ってたんだよ。」と教えてくれました。また、温泉街からクマ牧場のチケット売り場へアクセスするためのシングルリフトも恵庭岳の山頂にあったものだそうです。

恵庭岳のロープウェイ搬器が、クマ牧場で昭和48年から平成4年まで運行していた時代*注5の写真は、のぼりべつクマ牧場のHPで見ることができます。

つまり、この搬器は、「倉庫時代」もカウントすると、今は第三の人生を歩んでいることになりますね。 まさに生涯現役、幸せな搬器です。


追記】 4/28/2011

札幌オリンピック当時、支援隊第一小隊第一分隊長として恵庭岳滑降競技場のコース整備を担当された元自衛官、三浦様(福岡県ご在住・陸佐でご退官)より、貴重な滑降コース整備についての体験談をお寄せ戴きました。その一部を紹介させて頂きます。

恵庭岳滑降競技場について       福岡県・三浦さま  
貴殿の恵庭岳滑降競技についての記事を読みました。自衛官として恵庭岳滑降競技支援隊に参加、それもプレプレオリンピック、プレオリンピック、本番と三度も年越し山籠もりでコース整備に明け暮れました。

まさに記事のとおりの寡雪で人海戦術での作業でした。傾斜が急なため降っても雪が張り付かず、スノーブロック(雪しぶを型枠にはめて一晩かけて凍らせたもの)を積み、スノーシューターでその間に雪を運びこみつぼ足圧雪で固める、という作業の連続でした。朝、ゴール地点横の支援隊宿舎からコース整備に出ると、夕方まで帰れず、昼食は運搬食、休憩もかまくらの中というありさま。そのような作業の連続でしたが今から思えば懐かしさ限りなし、です。

雪が少なくエッヂで雪が削れるカーブ地点は水を担ぎあげ、殆どアイスバーン状にするほどの苦労をしましたが、本番三日前からは大雪で今度は余計な雪の除雪と本当に泣かされました。−中略− 恵庭岳では、一度だけ滑らせてもらいましたが、最後の壁では50メートルほど滑落してしまいました。最後の壁は支笏湖に飛び込む形になりあの恐怖感は非常なものがありました。

アイコン/素材

索道データ
名称 恵庭岳競技場第1区間 恵庭岳競技場第2区間
事業者 オリンピック委員会 オリンピック委員会
所在地 北海道千歳市 北海道千歳市
山頂駅名称 恵庭中間 恵庭山頂
山麓駅名称 恵庭山麓 恵庭中間
開業 1970年2月 1970年2月
廃止 1972年 1972年
索道の方式 3線交走式 3線交走式
水平長 847.03m 804,47m
傾斜長 913.76m 859,98m
高低差 253.5m 556m
支索の最急勾配 28.55° 27,36°
支柱(基) 2 2
搬器の種類・数 箱型 2 箱型 2
搬器の名称    
最大乗車人数 31人 31人
施工 安全索道 安全索道

*注1 今回参考資料とした3種類の札幌オリンピックの「公式報告書」は、ミクロ的な単純集計数値が中心で、札幌大会の総来場者数や、国別の入りこみ数など、複合的な集計が必要な数値と、データのサマリ(要約)の項目が見あたらなかった。唯一、大会チケットの総売り上げ枚数の64万2185枚というのが参考になりそうだが、これもいわゆる「延べ来場数」とは同列に比較できない。

*注2 現在のノーマルヒルのこと。


*注3 国際スキー連盟(FIS)の技術代表、競技委員長、レフリー等からなる組織のこと。

*注4 ヒグマの恐ろしさをもっと知りたい人は吉村昭のノンフィクション小説「羆嵐」を読むべし。

*注5 クマ牧場での営業運転は、恵庭岳とは別の路線として登録され、施工は日本ケーブル鰍ェ 担当した。搬器以外の索道施設は現在も貨物運搬用として同牧場で使用されている。


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