失われたロープウェイ
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万座ロープウェイ - 失われたロープウェイ
  
万座ロープウェイ

群馬県境一帯のスキー場の中でも、海抜1800mのゲレンデのパウダースノーで知られる万座温泉スキー場は雪量豊富でシーズンが長く、都心からのアクセスも良いため、近年のスノーレジャー全般の不振にもかかわらず休日のゲレンデは首都圏から訪れたスキーヤー・スノーボーダーで活気に溢れています。

1956年開業の万座温泉スキー場は、西武グループ(プリンスホテル)経営のスキー場で、2006-2007シーズンに開業50周年を迎えました。上の写真はそれを記念してプリンスホテルが製作したパンフレットに掲載されているものです。このパンフレットには、同スキー場の歴史が貴重な写真と年表、ホテルOBの方の証言で紹介されています。

万座ロープウェイは、当時の西武グループの実質上の中核企業だった総合土地開発事業者(デベロッパー)、国土計画株式会社(後のコクド)によって同スキー場開業の5年後の1961年にスキー場内に建設された交走式の索道。索道の施工は、国内最大手の索道メーカー、日本ケーブル鰍ェ担当。21人乗りの搬器が朝日山の山麓駅(万座駅)と白根山地蔵岳中腹の山頂駅(白根展望駅)間の547mを約4分で結んでいました。

大正時代の軽井沢・箱根の土地開発をルーツとする西武は、鉄道事業を行う一方で、創業時からホテル・スキー場・ゴルフ場などレジャー・スポーツ関連の土地開発事業に力を入れており、これは観光・レジャー事業をあくまで鉄道利用者へのサービスのひとつと捉える、他の鉄道会社とは異なるスタンスでした。

このロープウェイも、スキー場内にありながら通年営業でグリーンシーズンは、白根山湯釜観光の足として利用され、スキー場開業当初はスキーリフトも夏山営業を行っていました。


右下の写真は前述のパンフレットで使われている、昭和30年代に当時の万座ヒュッテ(現存しない)の前で撮影されたと思われる写真。

スキーギア全般は古めかしいものの、モデルのウエアの着こなし、写真のクオリティなどから、この時代に既にスタイリストやデザイナーをつけて宣材を製作していることが見て取れます。




出典:同パンフレット

サービス業・リゾート開発業のノウハウに長じ、自らが一流のスキーヤーでもあった当時の西武グループ総帥:堤義明は「フロントのカウンターから見るロビーと、外で見るロビーとでは、景色が違う。」と、ホテルのマネージャのデスクをロビーに置き*注1、また、完成したスキー場を実際に滑り、リフト乗り継ぎ時のスキーヤーの適切な動線を考えながら乗降ステージの配置を決めていったと言われています。

こうした利用者側の視点の、今で言う「顧客満足度」を意識して作られたラインナップは、戦後の経済成長を経て、次第にサービスの質の部分に目を向けるようになった大衆の取り込みに成功。

後の1980年代〜90年代前半のシティホテル/リゾートホテルブーム、第3次スキーブーム(今や懐かしの"Surf&Snow"の時代、スキー人口は現在の約2倍*注2であったと言われている)における西武グループのブレイク(雫石第一ゴンドラを参照)につながります。

下の図は、1969年のガイドブックに掲載されている当時の万座温泉スキー場のコースマップ(図にマウスオーバーでと現在のコースマップに替わります)。

当時のスキー場のエリアは今よりも広範囲だったようで、万座ロープウェイ白根展望駅から現在の白根レストハウスの駐車場の辺りまでの斜面には、弓池方向に降りるコースが描かれており、万座バス停の西側には「熊池ゲレンデ」という謎のゲレンデとリフトが描かれています。

万座ロープウェイは1970年(昭和45年)の志賀草津道路(国道292号:1993年から無料開放)の開通以降、夏季の利用客の減少によって1971年に運休・廃止されますが、シーズン中に限っては最期まで盛業だったようで、運行末期にあたる1969年発行のガイドブックにも、朝日山第1リフト(現・朝日山第1ロマンスリフト)終点から、ロープウェイ万座駅まではいつも長蛇の列だと書かれています。




この時代のガイドブックでは、白根山の東西山麓に位置する万座温泉スキー場と草津温泉スキー場(現・草津国際スキー場)が、必ずセットで紹介されていて、「新宿からスキーバスで万座入りして、草津温泉駅から帰る」という旅程が推奨されています。

万座と草津は、白根山側の志賀草津道路と県道466号を通れば非常に近いのですが、冬季は志賀草津道路の群馬県側(草津町)の天狗山ゲート〜長野県側(渋峠)の陽坂ゲート間と、県道466号の奥万座方面が閉鎖されるので、嬬恋側の万座ハイウェイ(有料道路)を通り、Uの字型に大回りすることになります。

万座ロープウェイが運行していた時代は、スキーと索道の乗り継ぎによって万座温泉スキー場から草津国際の最下部の天狗山ゲレンデまで滑り込めたので、同ロープウェイはスキー客にとっては、交通機関としてかなり有効に機能していたと思われ、両スキー場間の利用者の行き来も盛んだったようです。

下の地図は万座と草津の位置関係を示したもの。青いラインが現在の冬季のルートで、黄色のラインが万座ロープウェイが運行していた時代のスキー+索道乗り継ぎのルート*注3です(地図をクリックで別窓表示)。

万座ロープウェイ
               ©Mapion地図ガキ
【注意】

弓池のコースと万座ロープウェイが存在しない現在、冬季の朝日山から逢の峰までは、目標物の無い雪の世界になります。一部がツアーコースになっているようですが、基本的にオフピステ上級者が、パトロールの許可を得てから入るエリアです。



訪問記】 2007年6月

万座駅・白根展望駅ともに、駅舎は昭和の時代に撤去されており、今は駅舎跡地に建物の基礎の痕跡が僅かに残っているだけで、冬季は雪に完全に覆われてしまいます。

右の写真はシーズン中の朝日山第1ロマンスリフト終点。ここは、スキー場の端で、手前の壁は、冬季閉鎖中の志賀草津道路の法面。スキーに来た時に携帯で撮った写真なので画質が悪いです(おまけに天気も悪い)。


朝日山第1ロマンスリフト終点

山麓駅だった「万座駅」の駅舎は、この場所から国道を100mほど志賀高原方向に進み、写真中央の丘(山頂)を上がったところにあるはずなのですが、勝手にコース外に出るわけにはいかないので、探訪は国道が通れる時期に行うことにしました。

右の写真は、国道が再開してから訪れた万座駅跡地。

ほんの僅かな基礎の痕跡だけが、ここに駅舎があったことの証しです。

万座駅跡地(マウスオーバーで反対側の駅跡地にズーム)。

対面に見える山が地蔵岳で、稜線の中央の、山の地肌が見えている辺りが、山頂駅の「白根展望駅」跡地。

索道なので当たり前ですが、山麓駅と山頂駅は向き合った位置関係にあり、それぞれの跡地から、お互いが正面の位置に見えます。

なお、銀座の若大将(1965/東宝 主演:加山雄三 )という映画には、ここから山頂駅へ向かう万座ロープウェイのカットが出てくるようです(情報提供:横浜市小川様)。

山頂駅の「白根展望駅」跡地は、ところどころに駅舎の基礎や鉄筋が残る更地になっています。右の写真は、駅跡広場から見た朝日山方向で、写真中央の山の頂上がさきほどの万座駅跡。

白根展望駅跡地(マウスオーバーで同じくズーム)

万座ロープウェイは"支柱無し"なので、谷を渡る感じだったことが良く解ります。ページトップのスキーヤーのシルエットと搬器の写真は、ここに建っていた駅舎から撮られたようです。

上の写真の手前に少し写っていますが、朝日山に面した谷の急斜面に、ゴンドラ発着所の基礎の一部と思われるコンクリ塊が、わずかに残っていました(写真右)。
これが万座ロープウェイ唯一の、遺構と呼べるものです。

最後の写真は、白根展望駅跡地から、逢の峰と弓池方向を撮った写真。左の建物は、駅跡の広場に建っている避難所(休憩所?)です。索道の運行時代のスキーヤーは振子沢を目指し、この方向へ滑り下りていったのでしょう。



・・・と言う訳で

万座温泉スキー場は08-09シーズンで52周年ですが、当サイトも、2009年2月7日に1周年を迎えることが出来ました。いつも読んでくれている皆様、ありがとう御座います。

今後とも「失われたロープウェイ」を、ご贔屓に。


索道データ
名称 万座ロープウェイ *注4
事業者 国土計画
所在地 群馬県吾妻郡嬬恋村
山頂駅名称 白根展望(火山館)
山麓駅名称 万座
開業 1961年12月19日
廃止 1971年
索道の方式 3線交走式
水平長 547.01m
傾斜長 548.33m
高低差 38m
支索の最急勾配 15.05°
支柱(基) なし
搬器の種類・数 箱型 2
搬器の名称 N/A
最大乗車人数 21人
施工 日本ケーブル

*注1
参考:決定版・西武のすべて/1983 日本実業出版社
*かなりの西武バンザイ本w


*注2
当サイトが統計資料として参考にしている「レジャー白書」によると、日本国内のスキー人口のピークは1993年の1860万人とされている。

*注3
地図ではスペースの関係上、草津国際の逢の峰ゲレンデから天狗山ゲレンデまでを直線にしたが、実際は振子沢コースか清水沢コースを通って青葉山→天狗山となる。

*注4
白根展望駅は「火山館」とも呼ばれていたため、火山館ロープウェイ、万座火山館ロープウェイと表記されている資料もある。

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