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うみがめの町として知られる徳島の美波町(旧日和佐町)の日和佐港から南西方向約2kmにわたって続く千羽海岸は、200m級の断崖が連なるダイナミックな景観が楽しめる海岸として、室戸阿南海岸国定公園の特別保護地区に指定されています。
千羽ロープウェイは徳島県(の公益法人)の直営により、1970年(昭和45年)に開業した観光ロープウェイで、千羽海岸の外ノ牟井(とのむい)という小さな入り江に作られた山麓駅から、一帯の最高所である、高さ約250mの断崖近くの展望台に隣接した山頂駅までの海上約434mを片道3分で結んでいました。
昭和39年に徳島県南部から高知県の室戸岬にかけての海岸一帯が国定公園の指定を受けると、徳島県による県南の観光開発がはじまり、昭和45年に日和佐-牟岐間を内陸部で接続する国道55号線にかわって大浜海岸、千羽海岸等の海沿い景勝地を結ぶドライブウェイ(南阿波サンライン:現県道147号日和佐牟岐線)の日和佐側から中間地点の明丸までの8.5kmの部分供用が開始され、サンラインの周辺には県営の観光施設として同ロープウェイ、レストハウス、モビレージ(貸別荘)がオープンしました。
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| 千羽ロープウェイの乗車券。開業時の往復運賃150円。 |
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南阿波サンラインは、開通当初は有料道路で、ちょうどこの時代(昭和40年代半ば)
から顕著になり始めたモータリゼーションによるマイカーの利用が期待されており、
ロープウェイ山麓駅があった浜へは、サンラインから車で直接アクセスが可能でした。
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開業からしばらくは県外からも観光客が訪れ、ロープウェイは盛況で、冬季以外の日曜・祭日(土曜が含まれていないところに時代を感じる)には、日和佐駅からこの浜辺までを往復する名所巡りの遊覧バスも運行していました。
しかし次第に客足が遠のくようになり、昭和40年代の終わり頃に遊覧バスの運行が取りやめになると、付近には路線バスが無いためマイカーや観光バスの利用者以外は駅からタクシーを利用するしかアクセスの方法がなくなり、開業から7年後の昭和52年に索道は運休、そのまま再開されることなく昭和61年に廃止されました。
前述の通り、展望台と山頂駅舎のあった場所は千羽海岸の最高所近くの、目もくらむような高さの断崖の上で、当時の観光案内書では、このロープウェイを「スリル満点の海上ロープウェイ」と紹介しています。
展望台のある断崖上までは車が通れるような道は当然無く、その建設工事はかなり難度の高いものだっただろうと思われますが(資材は海上から船のクレーンで吊上げたのか?)、そのような場所に敢えて索道を架け、観光開発を行ったという事実に「高度成長の時代」のパワーを感じます。
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当時の日和佐イラストマップ(昭和52年発行:山と渓谷社/四国・淡路島・小豆島より) |
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【訪問記】 2008年4月
山麓駅はレストハウス(レストハウス千羽)との複合建築物で、1950年代〜70年代前半の人々が思い描いた、科学万能の明るい未来への憧れを象徴しているかのような、いわゆる「レトロフューチャー」なデザインです。
建物は索道の廃止以来、20年以上閉鎖状態が続いていますが、現在も管理されており、私有地の中にあるため柵で囲まれていて近づくことは出来ません。柵には、侵入者は発見次第、警察に通報する旨の看板が設置されていました。
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レストハウスを兼ねた山麓駅舎跡
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山頂駅舎は、廃止の翌年の昭和62年に撤去され、跡地の広場は大部分が植物に侵食されている状態です(右の写真)。このあたりは年間の降雨量が日本最多と言われているだけあって、とにかく植物が猛威を奮っていて、山頂駅跡の広場から海は全く見えなくなっています。ロープウェイのチケットの半券のイラストから、当時は展望台のほぼ全体が見えていたようですが、今は一番上の展望階のみがかろうじて木々の上から顔をのぞかせている状態です。
山頂駅舎跡の隣に今も残るUFOのような多角形デザインのコンクリート製展望台は、内部のらせん状の鉄骨階段が潮風によって腐食していて、人が乗れば確実に崩壊するような状態なので、徳島県によって入口が封鎖され、立入り禁止の警告板が設置されていました。あたりは潮騒と風の音しか聞こえない薄暗いジャングルで、なんとも居心地が悪い場所なので長居は無用とばかりに早々に山頂から撤退しました。
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手前の柵のある広場が山頂駅舎の跡地。(マウスを乗せると展望台の入口の写真に替わります) |