
現役の旅客索道としては日本で2番目に古い日光明智平ロープウェイ(戦中の廃止期間を経て復活) |
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1912年(明治45年)、大阪・天王寺の内国勧業博覧会跡地に作られた遊園地(新世界ルナパーク)に日本で最初の旅客索道が架設されて以来、日本国内に次々とロープウェイが架設されます。途中、太平洋戦争中に一般の鉄道の場合と同様に「不要不急」の扱いとされ廃止される路線が相次ぎましたが、戦後は復活した物も含めて順調に架設数が伸び、特に昭和30年代から昭和40年代前半にかけては、全国の観光地や温泉地を中心に急激にロープウェイの開業が増えて行きます。
これはちょうど1955年の神武景気に始まり、岩戸景気、いざなぎ景気といった好景気を経て、1974年のオイルショックによって終焉を迎えた「高度成長期」と呼ばれた時代と符合します
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【高度成長期前半】
昭和30年代の観光の特徴は、観光自体が非常に画一的であることです。
この時代の観光スタイルは、観光バスを仕立てて団体で移動し、現地に滞在中には、定番の観光名所をなにがなんでも見て廻る、というものでした。戦後の復興がひと段落し、日本はようやく「豊かさ」に目を向けるようになり、国のレジャー推進の呼びかけに応える形で、各地で観光開発が始まりましたが、戦後を経済復興と、生きることにのみに没頭せざるを得なかった庶民は、いきなり余暇を楽めといわれても、観光旅行というキーワードは思いついても、その方法や手段についてはノーアイデアでした。
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高度成長期前半の団体旅行。参加者は大人ばかりというのも団体旅行の特徴(昭和30年代の雑誌より)。
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| そんな時代には、修学旅行のように旅行会社によって宿泊地を含む全ての旅程があらかじめ用意されているパッケージツアーがマッチしていたのだと思います。この時代は、個人に立ち返った時、目に映る風景やモノが、自分に実際に感動を与えているかということよりも、より多くの観光スポットを観て回ることによって、楽しさ・豊かさを感じたい、という意識が優先されていたのかも知れません。今では地元の人さえ訪れないような低山の山頂へ、名も無い高原に作られた小さな遊園地に、人々はロープウェイで訪れたのです。 |
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【高度成長期後半】
「高度成長」は経済成長と同時に、庶民の生活水準の向上と、余暇の増大による生活意識の変化をもたらしました。高度成長期も後半の昭和40年前後から、全国の観光地のホテルや施設の大型化・近代化が始まり、観光のスタイルも、従来の団体旅行に加えて、個人旅行(家族旅行、グループ旅行)の比率が増えて行きます。
大人が中心だった団体旅行と違い、家族旅行や若者のグループ旅行の目的は家族サービスや、屋外でのアクティビティにもあるわけですから、屋外にあり、子供たちにも分かり易い乗り物であるロープウェイは相変わらず人気者でした。この時代がまさに観光ロープウェイの全盛期と言えます。
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駒ケ岳ロープウェイのパンフレット(昭和40年代)より |
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【衰退についての考察】
しかし、右肩上がりで架設されていった観光ロープウェイも昭和45年頃(1970年)をピークに、徐々に新設が減っていき、昭和40年代後半からは、休止或いは廃止される索道が現れはじめます。庶民はなぜ観光ロープウェイから離れていったのでしょう?それには様々な理由が考えられますが、事業者側の経営的な理由や、それぞれの観光地の事情以外の、時代背景という側面から考察してみると、以下の2点が大きな原因であったと思われます。 |
1.モータリゼーション
オイルショックよって高度成長期が終焉を迎えた昭和40年代後半くらいから、いわゆるモータリゼーションと呼ばれる自動車の普及とそれに伴う道路の整備が顕著になり始めます。モータリゼーションは、それまではロープウェイでしか行けなかった山頂まで自動車の通れる道路が開通させ、それにより索道が存在意義を失う、という現象を引き起こします。これは全国の観光ロープウェイの廃止の理由の大半にあたり、時期的にもほぼ一致します。
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昭和43年頃のレンタカーの広告(南紀白浜:ホテルパシフィックのパンフレットより) |
2.輸送構造の変化と高層建築規制の改正による高度感・飛行感への「慣れ」
昭和50年代頃から、国民の所得のアップと航空産業の成熟により航空運賃に対する割安感が生まれ、航空機による移動が一般化するようになります。しかし、それまでは庶民が簡単に高度感・飛行感を味わえるものは、索道か展望台、或いは遊園地の乗り物ぐらいでした。
航空機の国内線の場合、1964年(昭和39年)のJALの東京-札幌間の片道旅客航空運賃は11200円(ジェット機の場合は1000円増し)で、大卒初任給の平均が2万5千円前後と言われた時代ですから、庶民にはなかなか利用する機会がありませんでした。また、国際線の場合も、1960年(昭和35年)の海外旅行の自由化までは、運賃以前の問題として、国民が観光目的で国外に出ることができなかったため、飛行機旅行そのものが、現在のように身近な存在ではありませんでした。
今でも地方の観光地の索道の古い看板などにキャッチコピーとして「○分間の空の旅」などと書かれているのを目にしますが、今の感覚ではロープウェイと「空の旅」を結びつけるのは難しいです。上記のコピーはこの時代の感覚の名残りなのかも知れません。
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昭和39年8月のJAL国内線運賃表 |
| さらに、1963年(昭和38年)の建築基準法の改正まで、日本では建築物の高さの制限は100フィート(約31m:9〜10階建てぐらい)までと定められていたため、現在のように「マイホームは超高層マンションの24階」とか「自分の会社のオフィスはビルの17階」などというように、日常に高度感が入り込むことが無かったため、高所への興味が今よりも強かったものと思われます。観光地に行くと必ずある「展望台」も、そろそろ陳腐化しつつあるような気がします。 |