失われたロープウェイ

大平山ロープウェイ
  
日本最初の天満宮として北野(京都)、大宰府(福岡)とともに日本三大天神として全国的に知られる防府天満宮が鎮座する、山口県防府(ほうふ)市。

 
大平山(おおひらやま)ロープウェイは、開業1959年(昭和34年)という歴史のある索道で、防府市内の大平山(標高:631m)の中腹から山頂までを結んでいたキロ程953mの市営のロープウェイ。

大平山ロープウェイ

毎年夏には名物の夜間納涼運転を実施するなど、防府のランドマークとして市民から永く親しまれてきましたが、設備の老朽化により昨年(2015年)、惜しくも廃止となりました。

山陰の山々をはじめ、視界の利く日には九州の国東半島や四国の佐多岬まで見渡せる景勝地として、またツツジの名所として古くから知られていた大平山は、市の最高峰。

テレビ放送設備の適地であることから、政府がテレビの一般家庭への普及に向けて1957年(昭和32年)に策定した「第1次チャンネルプラン」を受け、山頂にNHKと地元放送局のテレビ塔の建設が決定。

当時は山頂までの道路が整備されていなかったため、資材の運搬と作業者の輸送、テレビ塔完成後の設備管理用として索道の架設が計画されます。

計画では、索道設備はテレビ塔関係者のみ利用の簡易的なものとされていましたが、当時世の中は昭和のレジャーブームの真っ只中。観光施設として規模を拡大して建設することになり、1959年3月、一般向け旅客索道として開業を迎えます。
防府市内観光MAP
昭和30年代発行の市の案内書より

大平山には県内外から多数の観光客が訪れ、ロープウェイは開業初年度には約10万人(9万9000人)の輸送実績を記録しました。



【昭和のレジャーブーム】

神武・岩戸・いざなぎといった昭和の好景気と高度経済成長を背景に、昭和30年代〜40年代前半頃まで続いたレジャーブーム時代、全国の観光地や温泉地では、当時集客力があった「観光ロープウェイ」の建設は成功型ビジネスモデルのひとつでした。

しかし、索道は本来、山岳地帯をはじめとする地形的に道路や鉄道の敷設が困難な場所やスキー場、交通飽和の問題を抱える都市空間になどに適した「輸送機関」。

「空中散歩を楽しむ観光施設」として観光地や温泉地の低山に架設されたレジャーブーム時代型のロープウェイは、昭和40年代後半から始まる国内のモータリゼーションによって山頂までのアクセス道路が整備されると利用者は激減。

さらに1973年のオイルショックを境に消費の低迷によってブームは終焉を迎え、80年代以降は消費者の価値観や嗜好の変化で次第に存在が陳腐化、やがて廃業、というパターンを辿ることになったものは少なくありません。


大平山ロープウェイの場合も、まさに昭和40年代後半突入の年である1970年に初めて年間利用者が4万人を割り、その後も利用者は低迷。何度かテコ入れをおこなうも、近年では年間2万5千人前後を推移していたようです。

1959年の開業から2014年の運行停止までの55年間の輸送実績は235万人となっており、これは東京ディズニーランド・スカイウェイの1年間の輸送実績(300万人)に届かない数字。TDRと比較するのはちょっと可哀想な気もしますが、参考資料に記載の1981年以降の収支表を見る限り、民間の事業者であれば事業からの撤退を考えてもおかしくない状況が続いていたようです。

大平山ロープウェイは2014年8月の法定点検で主索に磨耗が見られたため一旦運休、存続か廃止かについて討議がおこなわれました。討議ではフニテルに架け替えて営業継続という案も飛び出したようですが、最終的に廃止と判断したのは賢明だったといえるのではないでしょうか。


【参考資料】

防府市史 通史3
防府市大平山索道事業方針検討協議会資料



防府市史編纂委員会
防府市産業振興部他


1998
2014


訪問記】 2016年8月

山口県の瀬戸内海側に来るのは初めて。山陽自動車道の防府ICを降りるとすぐに、山頂にテレビ塔が建つ大平山が見えて来ました。

舗装された山道に入り、暫く進むと案内板が。このまま道なりで大平山山頂で、脇道に入ってしばらく進むとロープウェイ山麓駅のようです。

うーむ、駐車場に車を停めてロープウェイに乗り換える手間を考えると、このまま車で山頂まで行きたいのが人情というもの。山頂へのアクセス道路が整備されてからのロープウェイの苦戦ぶりが偲ばれます。

ではまず山麓駅から。写真は駐車場から山麓駅へのアプローチ。奥に見えているのが大平山で、左手前の赤屋根が山麓駅舎。駅舎は予想通りの昭和テイスト全開な造りの建物だったのに対し、駐車場がこの時代のロープウェイ山麓駅のものとしては比較的広いのが意外でした。


駐車場から山麓駅へのアプローチ。

防府市は太平山ロープウェイの施設の撤去スケジュールを公表しています。作業は段階的に行われ、現在は索条の撤去作業が進められているようで、既に支柱の片方向の索条がすべて撤去されていました。この後、支柱の撤去が始まる予定になっています。

次は山頂に移動。現地入りする前は、写真等を見てもちょっとイメージがつかめなかった太平山の山頂公園は、とても綺麗に整備された多目的市民公園でした。山頂駐車場から少し上ると、いきなり展望が開け、眼下に周防灘から瀬戸内方向の絶景が広がります。


瀬戸内の絶景と芝生広場。カブトムシとスイカの刈り込みがポイント高いです。

芝生広場や遊具スペースには家族連れの姿も見られ、広々として開放的な山頂公園は、防府市民憩いの場といった印象。

山頂公園のどこかでイベントでもやっているのか、さっきから園内の拡声器を通して賑やかに談笑する声が聴こえてきます。どうも喋っているのはEXILEのメンバーみたいです。山頂公園にEXILEが来ているのか、と思ったらFM放送でした。

山頂の西側にある山頂駅舎は来園者に開放中。前述の撤去スケジュールに「山頂に搬器を展示」とあったので、てっきり山頂公園の広場などに展示してあるものと思っていたら、なんと乗降場に、停車状態を再現するかたちで展示されていてビックリ。


山頂駅で公開展示中の大平山ロープウェイの搬器。

搬器は、底部に架台を設置してアンカーボルトでホームに固定してあり、駅舎には職員が常駐しているので自由に乗ることができます。

交走式の搬器が同じ乗降場に向かい合って2台並んでいるのは、なかなかレアな光景。実は同じ光景が見られる現役路線の乗降場(中間駅ではない)もあるのですが、それは別の機会に索道レポートのコーナーで。

ロープウェイの待合室も来園者に開放中。大平山ロープウェイの往時の勇姿や資料が展示されており、地元の高校生と思われるグループが展示を見ながらロープウェイの想い出を語り合っていました。大平山ロープウェイの乗車記はこちらのサイト(歓喜の索道)で読むことが出来ます。

通常、ロープウェイは廃止が決まると施設は早々に跡形もなく撤去される場合が殆ど。そして何事も、かたちが無くなると、あっという間に人々の記憶からも消えてゆくものです。

運行していた駅舎を開放して乗降場で実機を公開展示、という例は自分の知る限り初めて。運行55年、十二分にその役目を果たした大平山ロープウェイは、今も防府の人々から大事にされていることを実感しました。


芝生広場や遊具スペースへのアプローチ。中央に見えるのが山頂駅。


索道データ
名称 大平山ロープウェイ
事業者 防府市
所在地 山口県防府市
山頂駅名称 山頂
山麓駅名称 山麓
開業 1959年3月21日
廃止 2015年2月18日(運行停止:2014年10月) 
索道の方式 三線交走式
水平長 860m
傾斜長 925.845m
高低差 400m
支索の最急勾配 37.20°
支柱(基) 2
搬器の種類・数 箱型・2 
搬器の名称 あさぎり/ゆうばえ
最大乗車人数 31人
施工 東京索道


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