
東山温泉観光協会案内書より(昭和50年頃) |
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福島県会津若松市の東山温泉は、白虎隊で有名な飯盛山、会津鶴ヶ城などの観光名所に至近の、開湯1300年の歴史を持つ温泉地です。
背炙山ロープウェイは、東山温泉の背後に位置する背炙山(せあぶりやま:標高863m)の高原状の山頂の西側に作られた背炙山駅と温泉街の山麓駅を結んでいた市営のロープウェイで、山頂東側の関白平から磐梯山や猪苗代湖方面の眺望を楽しむ「空飛ぶ観光バス*注1」として1956年(昭和31年)に開業しました。
また、シーズン中は北峰斜面一帯の南北6km、東西1kmの草原を利用したスキー場(背炙山スキー場*注2)へのスキーヤーの足としても利用されました。
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国内ではまだロープウェイ自体が珍しかったこの時代、北海道・東北・北陸を併せたエリア内に3ヶ所しかなかった普通索道のひとつ(交走式としては唯一)だった背炙山ロープウェイは大変な人気で、開業当初は朝の7時30分から夜の8時まで運行していたそうです。
当時、ロープウェイは話題性も十分で、漫画家の手塚治虫氏が1959年に少年サンデーに連載した「スリル博士」という漫画には、背炙山ロープウェイを舞台に主人公の「ケン太」が活躍するエピソードが登場します。手塚氏は同年に会津若松を訪れており、日本のSF漫画の第一人者である氏の目にロープウェイは「未来的な乗り物」として映ったのかも知れません。
トップのゴンドラの写真は昭和40年代にリニューアルされた2代目搬器ですが、作中に描かれているのは丸みを帯びた初代搬器で、当時の写真と見比べるとかなり正確に描かれており、作品が発表された昭和34年には、まだ鶴ヶ城の天守閣が復元されていなかったことなども分かり、ロープウェイが昭和の会津観光開発の先駆け的な施設だったことが窺えます。
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同案内書より |
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その後、1960年から1963年にかけて、背炙山駅に隣接して作られた黄金丘駅から約700m東側の関白平駅を結ぶ第2ケーブルと、関白平駅から北峰頂上ゲレンデを連絡するスキーリフト第一(500m)と第二(372m)が相次いで新設されます。これによって温泉街から頂上ゲレンデまでが全て索道によって接続され、昭和40年代後半頃まではゲレンデで日本髪のままスキーを楽しむ東山温泉の芸妓さんたちの姿も見られたそうです。これ以降、従来の背炙山ロープウェイは第1ケーブルと呼ばれるようになります。
第2ケーブルは16人乗りの小型搬器で、支柱なしのワンスパン構造だったため、下の写真のようなやぐら型の懸垂器が採用されていたようです。ちなみに索道の末期にあたる昭和50年代の観光案内の中には、第一ケーブルの水平長が少し伸びている物もあるので、中間駅は後に統合されたのかも知れません*注3)。
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昭和51年の背炙山周辺 出典:国土地理院発行 1:25,000地形図
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やがて1970年代に入ると、温泉街入
口近くから関白平を経由して国道294
号に接続する県道374号が開通し、
ロープウェイ利用客は徐々に減少を
始めますが、県道の路面は1980年
代半ばまで未舗装だったため、索道
は自動車と競合しながらも1984年ま
で運行を続け、翌1985年(昭和60年)ついに廃止されました。 |
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第1ケーブル初代搬器(左:昭和30年代の絵葉書)
第2ケーブル搬器(右:昭和46年発行 ブルーガイド「磐梯高原と吾妻スカイライン」より) |
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【訪問記】 2005年8月
現在、索道関連の施設は撤去され、
温泉街にあった山麓駅(東山温泉
駅)は右の写真の通り完全な更地
になっています。
さすがに廃止から20年以上も経って
いる路線だけに、北峰ピーク周辺に
チェアリフトの支柱と運行装置の残骸
が残っているだけで、ロープウェイの
山頂側の3つの駅舎(背炙山駅/黄金
丘駅/関白平駅)に関しては、遺構と
呼べるものは何も残っていませんで
した。下の写真の中央付近が関白平
駅があった場所です。
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東山温泉駅舎跡地 |
なお、スキー場はその広大な面積(49万5千平方メートル)に対し、リフトが2基のみ(当初は無し)なので、かなりバックカントリー的な環境のスキー場だったと思われます。
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今回泊まったホテルの従業員の方にロープウェイについてお話を伺いましたが、「ロープウェイが廃止された時、会津若松市民は一様に寂しさを感じた。」という言葉に、この地で30年近く親しまれた索道の存在を実感することができました。
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